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プロフィール

初田徹(ハツタ トオル)

1980年生まれ。竹工家。
日本に伝わる竹工芸の技術と美意識を軸として、
伝統的な竹籠や造形物の制作を両輪に、
両者の延長としての住まいや空間づくりへも活動を広げる。

目で見ていなくても、DNAが覚えている。

私は生まれたときから洋式の家に住み、ベッドで寝て、テーブルと椅子で生活してきました。それでも和室や、瓦の屋根や、家 の中にある木の柱をみると、どこか懐かしさをおぼえます。「昔は、家を建てるにも生活するにも、自然素材を使うほかありませんでした。人類の歴史からするとそういう生活の方が長いんです。今はほとんどの建物が人工の素材で出来ていますが、私たちの両親や祖父母、その先と遡っていけば、自然素材で暮らしていた記憶は出てくるんですよ。目で見ていなくても、DNAは覚えているんですね。多分私は、それが人一倍濃かったのかもしれません」。そんな初田徹さんの竹工家としての思いと、こころざしをうかがってきました。

大学3年のとき、このまま就活して卒業するのは嫌だと思った。

中学生から高校生の間は、海外に興味があったという初田さん。外国の映画が好きで、高校生のときに1ヶ月アメリカに短期留 学した経験も。大学へ進学後も幾度か海外を旅行し、将来は映画関係の仕事がしたいと漠然と思っていたそうです。「大学生っ て、最初はみんな似たり寄ったりな日々を過ごしていたのが、就活の時期になると個性が出始めるんですよね。そのまますぱっと就活に切り替えられる人もいれば、1年留学とかして自分探しの旅みたいなのに出る人もいるわけです。
僕はというと、実は 3年のとき留年しかけたんです(笑)。1、2年の2年間でとった単位より多い単位を1年間で取らなきゃいけなくて。結局なん とか単位はとりきったんですけど、そのまま就活して卒業するのは嫌だなって思ったんですよね」。そして初田さんは、1年間 休学すること決意。「休学している間に、海外留学しようとかっていう考えはなかったですね。それまでの自分の経験と周りを 見てみて、自分のやりたいことは海外では見つからないなって確信がどこかにあったんです」。それでは初田さんが自分のやりたいことは一体どこにあるのか。それは、意外と身近な場所で見つかりました。

友だちとの流し素麺が、運命を変えた!

休学中の21歳の夏休み。初田さんは友人たちと流し素麺をするための竹を買おうと、杉並のとある竹細工屋さんに足を踏み入れ ました。それは祖父母の家の近所にあるお店で、小さい頃から存在は知っていたものの、店内に入ったのはその日が初めてでした。結局竹は売ってもらえませんでしたが、店内に置かれた竹細工に強い関心をもった初田さん。その日を境に、2ヶ月に1回ほどのペースで通うようになりました。そして翌年の正月明け。いつものようにお店へ行くとたまたま店主がおり、「君、ちょくちょく来るらしいじゃない。特別に普段店には出してないものを見せてあげるよ」といって竹で出来た工芸品などを初田さんに見せながら語り始めました。それが店主、後に初田さんの師匠となる方との初対面でした。「普段よく目にする竹細工とは違 うものが出てきたとき、素晴らしいと感じると同時に、直感的に自分に向いていると思いましたね。当時は同年代でそういうの を見て、買おうと思う人も、自分が作ろうと思う人も僕の周りには居ませんでしたね。でもその瞬間に、『あ、見つかった!』 と思ったんです」。それまで竹細工とはほぼなんの接点もない世界にいた初田さん。それはまさに運命的な出会いで、もしかしたら竹工家は天職のようなものだったのかもしれません。4ヶ月後、初田さんは店主のもとへいき「自分もやりたいので教えて ください」とお願いすると、快く受け入れてくれました。「僕はこれだなって思ってもすぐにいくタイプではなかったので、冷 却期間というか、本気かどうか確かめる期間が必要でした。表面上就活はしていましたが身は入ってなかったですね。それでそ ろそろ進路決めなきゃいけない時期になって、やっぱり自分にはこれしかないと思って、竹工家になろうと決めたんです」。周りに流されず、自分が本当に進みたい道へ進むためには、一度立ち止まって自身を見つめ直す期間が大事なんですね。

ものづくりは、自分のためだけではなく、
使う人を幸せにするためにあると気づいた。

「一生の仕事にするつもりでこの道に入りましたが、はじめのうちは売る方法を考えたり竹の魅力を伝えようと言う意識はなく て、ただ自分が作りたいものを作っていました。今考えると自己満足ですよね。もともと小さい頃から大工さんや建築家などの 作る仕事に興味はあったんですけど、それも誰かのためではなく、自分がやっておもしろそうだったからです」。展覧会への出 展やギャラリーでの販売はしても、そこにくるお客さんと会話をしたり、手にした方の反応を伺う機会は稀でした。作業部屋で ものを作るところまでが自分の仕事である、というやり方が2011年まで続いたといいます。「僕が長い間こういうスタイルでや ってきたのは師匠の背中を見て、それをなぞってきたからだと思うんです。でも、2011年に人生観が変わるような出来事をいく つか経験して、『このままじゃ俺ヤバいな』って思ったんです」。そうして初田さんはそれまで住んでいた三鷹の家を出て、生 まれたときから7人家族で住んでいた世田谷の実家に戻り、かつて祖父母がつかっていた和室を作業部屋兼自分の部屋として使うようになりました。初田さんの師匠は、100年以上続く竹細工屋の3代目でした。「先生には昔からのお客様や自分のお店が あるけど、僕にはそういうのなかったから、同じことしてちゃだめだって思ったんです。そのとき初めて、作る以外のことを考え始めました。もちろん、それまでの9年間の積み重ねを経てこそですが」。
2011年4月にブログとSNSを始めた初田さん。 「文章にして書き出す事で、自分の思いや考えていることを整理してみると、自分の意志で始めたはずが、いつの間にか他人の 意志で動いていたことに気がついたんです。師匠の世界観をただそのまま受け継いでいるだけでは、竹工家になろうと決めた当 初の自分の目的からどんどん離れてしまうと」。それからは個展を開いたり、イベントにも積極的に参加し、今や初田さんの作 品は様々な雑誌に紹介されるようにもなりました。「つくる目的が、自己満足から誰かに使ってもらうということに変わりました。さらにその使ってくれた人が心地のよい生活を送ってくれるようになったらいいなと思うようにまでなりました。ただもの をつくるだけじゃだめなんです。ものを手にした人に心地よくなってもらうことを目標に。ものづくりには、そうやって手にした人やその周りの人をほんの少しでも、一瞬でも幸せにする、ものがある空間を心地よくする役目と可能性があると思うんです」。

損得ではなく、自分がおもしろいと思った人と付き合う。

誰かを心地よくするためには、まずは自分が心地よくいる必要がある。そのために初田さんが心がけているのは、自分の感覚を 大事にすることだそうです。「大人になるにつれて、どうしても利害関係で人と繋がろうとしがちですけど、なるべく自分の感覚的に好きな人といるようにします。小学生のときとかって、あの子と繋がれば自分の利益になるとか考えないじゃないです か。ただ自分がおもしろいと思った人とくっつく。そういう直感や感覚的なものを、常に意識して大事にするようにしていま す」。 最後に初田さんは、一本の竹を私に見せてくれました。その竹の先端は煤で黒くなっていて、ところどころ縄でしばってあっ たため、まだら模様になっていました。「煤竹という古い材料ですが、これって全部人が生活している中で自然にできた模様なんです。でも、こういう作為無く模様がついている竹とか、もともと竹が生えている状態って綺麗じゃないですか。なまじ作り込んで変なものになるより、自然にやって結果的に綺麗になる世界。そういう空間こそが、最終的に心地よくなると今は信じています」。その言葉はまるで、初田さんの生き方そのものを指しているように聞こえました。

メッセージ

 

初田徹

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編集後記 取材 ・張佳翔|Photo : 市川 智也(from AgeHA graph)

取材させていただいた作業部屋は、畳と竹と木に囲まれていて、レトロなとても素敵なお部屋でした。 そして初田さん、自分の作品がメディアに紹介されることはあっても、自分の話が紹介されるのは今回が初めてだったそうで す!貴重な機会をいただけたことに感謝です!

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